Report2017
基金運営委員会より基金報告
難民支援協会からの報告
平野委員長からの報告
柊運営委員からの報告


Report [事務局より]

運営委員長 平野 鍾よりご挨拶

   

 支援者の皆様には長い間、ご支援いただきましたこと、心より御礼申し上げます。

 

 犬養道子基金は、1979年12月、タイ国の首都バンコクから420km,カンボジア国のマイルートと呼ばれるカンボジア難民キャンプ内の最南端に、柵を厳重にめぐらした「隔離された200人のカンボジア孤児たちの家」を道子代表が訪問した時に生まれました。ポルポト政権がヒトラーの600万ユダヤ人虐殺に次ぐ大虐殺を行ったことに対して日本は全く無関心でした。そこで道子さんが目にしたものは、食糧だけではなく、愛情と勉学に飢えた子どもたち。(中央公論社「フリブール日記」参照)。この詳しい報告を「フリブール日記」で知った読者から続々と寄付金が届き始め、講演依頼も増え、支援者も様々なご縁が鎖のように繋がって、名古屋に最初の支援者が現れ、犬養基金の第一次委員会ができました。

 その頃に、中心になったのが上智大学学長(当時)でイエズス会のピタウ神父でした。ここで育まれたのが、犬養基金の国際的な繋がりです。当時、ローマの「イエズス会」本部で、広島での原爆体験者でもある総長アルペ神父が、「イエズ会難民サービス(JRS―Jesuit Refugee Service)」を創設。犬養基金として国際活動への参加は願ってもないことでした。そこで2000年5月、東京において、「ローマJRSの国際本部内に、Michiko Inukai Foundation Internationalを置く」ことに同意、JRS内外一体として、世界の難民青少年の支援を末永く支援することになりました。

 1999年、道子代表は「コソボ難民地区緊急臨時援助」を企画。自ら現地に赴き、同年秋からコソボからそう遠くないクロアチアの長期滞在許可証(3年間)を取得、長期にわたる活動を意図して日本から移住しましたが、バルカン内戦後の混乱のため帰国を余儀なくされました。道子代表の卓越した発想と実行力にはいつも驚かされましたが、その例として、サラエボの内戦で絶望の中にいる女性達にその土地の伝統のレースを編んでもらい、その品々を日本で販売し、売り上げを製作者の女性達に利益として還元し、将来への「希望」をお届けするというアイディア。また、道子代表のデザインしたTシャツの販売や、スケッチブックの中から選んだ絵を葉書にして販売し、活動費を捻出するというアイディア。道子代表の溢れ出るアイディアは留まることを知らず、私達も必死にその実現に向けてお手伝いさせて頂きました。そのバルカンの内戦が終わった後、荒れた国土をたてなおす支援の一環として、麗澤大学やモラロジー専攻塾の学生たちを4年にわたって派遣したのも道子代表の学生への呼びかけがきっかけでした。この活動は現地の人々にも喜んで受け入れられ、若い学生達にとっても大変貴重な体験になったことと思います。

 さらに犬養基金の活動として特筆すべきは、2000年代に入り、急激に増加してきた日本を目指す難民の数に呼応した「足元の難民支援」とも呼ぶべき活動です。難民申請の最前線で活動を行っている「難民支援協会」に対する支援、さらには「聖路加国際病院」の協力による「医療支援」の創設があります。これは日本に到着後、病院の診療・治療を要する難民のための資金提供です。この10年以上にわたる難民支援協会への資金援助は、活動支援と医療支援の2本立てで行ってまいりました。これも全て道子代表の発想をもとに実現できたことばかりです。

 その難民支援協会に犬養道子基金の理念と今後の活動を託すことになったことは、7月にお送りした「重要なお知らせ」の中で述べましたが、基金の継続のためにまことに喜ばしいことであり、これが実現したことは関係者、支援者御理解のお蔭と、心より感謝と御礼を申し上げる次第です。

 以上、簡単に「犬養基金」の歩みを申し述べましたが、基金創設及び活動の基本方針をご理解いただき、今後とも、「難民支援協会」の活動に対するご支援をお願い申し上げる次第です。










 運営委員(2017.10)
<前列左より>
久守、平野(委員長)、波多野、谷口
<後列左より>
松方、柊、依田、石川(難民支援協会代表)(※欠席者:山口、山尾) 

平成29年12月 平野 鍾

 

 


(C) Michiko Inukai Foundation